2000年5月号掲載記事/新しい紅茶とワインの友好提携:その5
ボルドーワイン:
 1世紀には、厳しい冬にも耐えられる新種のブドウの木が発見され、ボルドーワインの歴史が変わりました。12世紀中頃から15世紀中頃にかけては、イギリスとフランスの間で安定したワイン貿易が確立し、17世紀にはオランダや北ヨーロッパ諸国にもワインを輸出するようになりました。ボルドー地区では、蒸留してブランデーにするための辛口、やや甘口ワインも供給するようになりました。カリブ諸国との貿易も18世紀には増えてきて、フランス革命までボルドー地区は繁栄を極めました。そのころイギリスへのボルドーワインの輸出は全体の10%ほどでしたが、ワインがロンドンの上流階級の間で流行っていることもあり、良質のワインが求められていました。
 19世紀になると、うどんこ病というぶどうの病気がワイン畑を襲いましたが、それが鎮火し、後にボルドー地区は好景気にわきました。ジロンドのもっとも有名なシャトーのいくつかが格付けられました。(メドック、ソーテルヌ、グラーブ地区のシャトーオブリオンなど)。産業革命で自由貿易が発展し、ボルドーワイン醸造家やそれを売る側の努力の結果 、ボルドーワイン繁栄の時代となり、1865年から1887年までピークを迎えました。
 20世紀になり、ボルドーは新しい危機にさらされました。まがいもののボルドーワインが広く出回り、価格が下落したのです。ボルドーワインを守るため、ジロンドワインプロデューサーはあちこち奔走し、1911年に新しいワイン法律を作る手助けをしました。この法律は初めてワインの呼称に境界線をしき、ジロンド以外で作られたワインにボルドーという名を付けることを禁止するものでした。この品質管理の概念は、地理上の原産地も加えられ、今日の包括的appelation d'origine controllee(原産地呼称統制法)ができあがりました。現在AOCワインはボルドーワイン製品の97%を占めています。1956年以降グラーブやサンテミリオン地区も新しく格付けされ、1956年の厳冬のあと、世界中のワイン需要の高まりに押されるように、製造者は徐々に商業に対する活力をとり戻しました。

マスコミとのかかわり:
 ブルックボンド社とボルドーの提携に、世間の人がもっと興味をもってもらい、提携が成功するようにと、イベントやプロモーションにフランス人俳優、マックス・ドゥーチンを起用しました。彼は、ルノークリオのコマーシャルでパパ役を演じる人としてイギリスでは知られており、フランスでは俳優として長い間際立った功績をあげ、特にチェーホフ、ストリンドベリ、シェークスピア劇での演技が有名です。また彼は以前より紅茶とボルドーワインの愛飲者であり、パリにある自分のラグビーチームでもビールより紅茶を飲むほうがいいと、チームメイトにすすめてきました。
 この提携をつうじて、紅茶とワインがもっとたくさん飲まれるようになり、また新しい消費者を開拓していきたいと、両者は考えています。2つの飲み物はイギリスとフランスの文化的歴史のシンボルだという事実が、さらにこの提携にインパクトを与えてくれることを期待しています。


本文は『TEA&COFFEE TRAE JOURNAL/vol.174/No.7 2000年7月号』より・・・
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