1999年6月号掲載記事/アイルランド人の紅茶・その3
状況の変化:
  TEA IMPORTERS株式会社(1958)が設立されたときは、50社以上の会社が、株主として参加していました。(全てのメンバーが、アイルランド卸茶取引協会の会員でした)しかし、1998年までには、10社足らずが、茶貿易に携わっているのみとなっていたのです。1960年代から70年代を通して、継続的に倒産や合併が行われました。最初の重要な合併は、7社でした。
1. Baker Wardell
2. T.W. Begge
3. J&G Cambell
4. W.M. Hogg&Co.
5. Joseph Garratt & Co.
6. henry Pattison & Co.
7. Robert Roberts Ltd.
これらの会社で、『アイルランド茶商業会社』を設立し、現在も、Robert Robertsの名のもとで事業が行われています。この会社は、また、他社のブランド商標(その株も)を受け継ぎました。例えば、McGrath Bros.です。当時倒産しかけていた「Coyle Ltd.」「Becker Bros.」「 Owens & Co.」は合併し「Allied Teaブレンダー」となりますが、その数年後、会社は整理されまし。 このなかで、特に重要な事は、Owenはアイルランドでの、ティーバッグの先駆者だったことです。「Geogory Owen」は、合併の前に亡くなりましたが、常にティーバッグが今後茶市場を支配すると公言していました。当時、全ての人がそれをあざ笑ったのですが、実は、彼が正しかったのです。彼は、彼自身の夢が現実になる事を見ることなく、この世を去りました。ティーバッグは、現在市場の90%を占めています。 会社倒産の主要因は、価格競争ではありませんでした。品質だったのです。茶の品質を維持し、向上させていた会社は、たとえ価格を下げなくとも、ビジネスとして起動していました。しかし、価格を押さえるために、品質を下げた会社は、結局は市場から退くことになったのです。しかし、アイルランド人は現在も、最高品質の維持を主張してはいますが、その購入方法や茶の入れ方は、このニ半世紀の間に、大きく変化しました。

『パケットティー』の台頭:

 第二次世界大戦以前、ブランド茶は、アイルランド市場のたった10%でしかありませんでした。ティー・ショップでは普通、チェスト又はその他の単位で、卸会社から茶を購入し、そして、店のオリジナル名で、店頭でそれぞれ販売していました。(『いつものですか、奥様?』) またそのうちのいくつかは、まったくブレンドされず、チェストから取り出したままの、『ルーズ・リーフ』の状態で販売していました。この理由には、茶葉の外観が、当時大変重要であり、一枚一枚の輝きは、客を惹きつけ、間違いなく購入へと導いたことがあります。しかしながら、利口なアイルランド国民は、必ずしも美しい外観の茶葉が、おいしい茶となるとは限らないことに気づき、このため、急速にブレンドされた茶がその販売量を上げ、ルーズリーフ茶市場は、減少してしまいました。
 「J Lyons&Co」(アイルランド)は、パケット・ティーの先駆者でした。戦後、茶市場におけるその会社の株式は、急速に上昇しました。これは、意欲的な広告と国全土にわたる非常によく計算されたセールスによるものでした。1962年までに、「Lyons」は独占的な地位にのぼりつめ、それは全市場の16%に及びます。1965年には、25%を超え、1973年には45%、そしてその翌年には50%を超えたのです。この数値は、現在もまだ維持されています。パケット・ティーの流行は、スーパーマーケットの到来によって加速したといえます。1961年以降、何店ものスーパーマーケットが、国中至るところに開店し、ここでは、パケット・ティーのみが販売され、「Lyons」はこれらの全ての利点を得ることが出来たのです。
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