1998年9月号掲載記事/ ロンドン・ティオークション:その2
最後のオークション:
 普段の月曜の朝のオークションは、午前11時に始まり、約45分間で終了します。(17世紀18世紀には、6日間にも及ぶ非常に過酷な長さ、また、今世紀初頭でも3日間かかっていたことから比べて、非常に短時間となっていました。)そして、この−オークションでは、様々な種類の茶が、迅速に効率よく取引されました。カメラマンやジャーナリスト達は、この日、いつもより15分間の延びを得ることが出来、その間、この取引に携わる人々の様子をおさめることが出来ました。一方で、ロンドン商工会議所のスタッフは、予想外の来場者に、紅茶を出すため、右往左往していました。
  正午、いつも通りの活気と人々の好奇心とが、オークションルームから廊下にまで、広がりました。しかし、ロビン・ハリソン氏が319年の歴史上最後となる、競売用の槌を振り上げたとき、とたんに静けさに包まれました。そして、20ロットのアッサム、ダージリン、セイロン、中国、ケニヤの茶の、茶貿易慈善基金へ寄付されるための競売が始まりました。「パーシバル・グリフィス卿基金」「セイロンプランター慈善基金」「紅茶取引慈善会」などです。
  入札は、ハリソン氏が最初の説明を終えるよりも早く始まり、その後も全ての主要会社が参加し、値がどんどん高くつけられてゆきました。入札者は、慈善事業への惜しみない寄付が目的でもありましたが、その半分には、ロンドンで最後となるオークションへの深い愛情からでもあったのです。スームからの122kgのダージリンは、パンジャナへ1kgあたり£22.50、キャスルトンはブルックボンドへ£37/kg,上物のキーマンはトワイニングに£35/kgでそれぞれ落札され、ケニヤのミリマに至っては、ギジョージ・ウィリアムソンが£55/kgという値をつけたのです。これはとても見ごたえのあるオークションでした。特に、電話入札(近年の新入札方法で、最初の頃のチェンジ・アレーやプランテーション・ハウスなどでは見られなかった光景です。)によって、高値が示されると、拍手喝さいが起こりました。
  しかし、最も興奮した瞬間は、最後の44kgのセイロン、ヘルボッド茶の名が読み上げられたときでした。入札は、£10/kgから始まり、£5、£10づつが、テトレー、ブルック・ボンド、テーラーズ オブ ハロゲート、ペガサス、トワイニングなどから掲示され値が上げられていきました。そして、値が、£225になった時、この戦いは、トワイニングのジョン・リーダー氏とテイラーズ オブ ハロゲートのジョナサン・ウィルド氏の二者対決となりました。そして、値はいきなり£465にまで上がったのです。しばらくの沈黙、静けさがありました。そして、この値のつり上がり方を見たハリソン氏が、槌を振り下ろそうとしかけた時、なんと、再び、入札が始まったのです。値は、じわじわとまた上昇し、そして、ついには、1kgあたり£555という驚異的な高値が、テーラーズ・オブ・ハロゲートからつけられました。(普通では£1.50/kg) これは、トータルにしてロンドンオークション始まって以来の高値である£24,000となったのです。紅茶史上にその名を残し、そこに居る人々全てからの賞賛を得た、ジョナサン・ウィルド氏(テイラーズ・オブ・ハロゲート会長兼経営部長)は、こう語りました。『これは、茶取引の一つの時代の幕切れです。私はこの特別な茶を、ヨークシャーに点在する私達のべティーズ・ティールームで、値段は関係なく、販売したいと思っています。しかし、そのうちの1kgはリーダー氏に捧げたいと思います。』ジョン・リーダー氏は、1950年代、ロンドンオークションへ出席した大好きな思い出を語りました。『その頃は、今よりもっと多くの会社がオークションに参加しており、競売は、プランテーション・ハウスの壮大な会堂で行なわれていました。それはまるで、伯爵家のホールのようで、華麗に装飾された石と木のパネルで作られていました。』
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